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「絵・文字・手話・歌」で奏でる舞台

【きっかけはある舞台を観て】

聴覚障害者である安藤美紀は舞台を観たいと思い、

手話通訳を二人連れて行ったのですが・・・舞台は登場人物が多く誰がどのセリフを言っているのか、把握できませんでした。

聞こえないからせっかくの舞台も楽しめることができない。手話通訳も限度がある。。。と考えていたら私の中でひらめきました。

「そうだ、自分で聞こえなくても楽しめられる舞台をつくればいいんだ!」

それが「絵・文字・手話・歌」で奏でる舞台をつくるきっかけになりました。

 

【みきまる座のはじまり】

耳が聞こえない人のコミュニケーション方法は手話だったり、口の形を見たり、文字だったり、人によってはさまざまです。

これまでなかった新しいあらゆる感覚から感じ取っていくスタイルの舞台を

みきまる座は考えました。

「イラストを見せる」

「セリフを漫画の吹き出しのようにタイミングに合わせて見せる」

「演者はセリフを言うだけでなく手話を芸術のように見せる」

「効果音を道具を使って見せる」

 

【差別がもたらしたもの】

この舞台は50年前にあったノンフィクションストーリー。

きこえない子どもが生まれた社会背景は今と違い厳しいものだったことを伝えたい。

きこえない子どもが話せるように親は幾たびも頑張った。その頑張りを伝えたい。

きこえない子どもだけでなくその家族も懸命に生きたということを伝えたい。

いろんな思いがあり、私は「いけす」「海の子」「桃と桜」を創りました。

【主人公の子どもの成長に合わせて90分の舞台】

「いけす」・・・50年前の障害者を取り巻く社会背景に翻弄される母が取った行動とは?

「海の子」・・・時代に振り回されながらも強く生きる母、父は?

「桃と桜」・・・母と娘の新たな挑戦とは・・・?

※いずれも一話完結です。

 

第0章「いけす」

昭和42年、沖縄ではひそかに風疹が流行っていた。アメリカ本土から米軍基地に広がったのである。当時400人の妊婦が風疹にかかった為、生まれた子の多くが聴覚障害を持った。当時、鹿児島では障がい児が生まれると殺して山や海に捨てることが少なくなかった。そんな中、鹿児島県のある港の近くで赤ん坊が産声をあげる。

第1章「海の子」

昭和44年5月15日は沖縄がアメリカの支配下から解放され、日本に戻ってきた記念すべき日だった。その日に生まれた赤ん坊はまったくしゃべれない。成長が遅い子だとわかると村から「呪われている」と言われるように。
母親は「何かあってもこの子を守る」と決めるが次から次へと不幸が襲う。

第2章「桃と桜」

生まれつき全く聞こえない子とわかった母親は村を出て鹿児島市で娘を育てることを決心。そこで待っていたのは想像を超えるものだった。
時代に振り回されながらも母親がぶれず、凛と生きていられたのは何だったのだろうか・・・。